まだ、途中

途中です。働いてラジオ聴いて日記書いてます。@madatotyuu

10月10日(月)

8時ごろに大阪へ出かける夫を眠気まなこで送り出す。二度寝してアラームで目覚め、すぐに家を出た。美容院でボブからショートに切ってもらった。髪を切って自分の形が変わって気分が一新する。

モスバーガーでライスバーガーとももジンジャエールを口にしながら、落合のワイフさんからの返事を読んでいた。見ず知らずの相手からの相談に嘘かと思うほど真摯な回答を長文で返してくれた。途中で送信取消も挟んでいて、私に伝えようとしてくれていることが分かってちょっと泣いた。

私は自分のために日記を書いているので、自分のためにやっていることで金銭を得ることが、自分にも買ってくれる人にも失礼なんじゃないか、自分の純粋な行為を金銭を介在させることで汚していないか、相手に向かっていない文章にお金を発生させて良いのだろうかと思って、近頃の私は葛藤と後ろめたさを感じていた。自分の作ったものの1番のファンは自分であるべきで、自分で良いと感じてなければ人に勧めてはいけないと思う。自信がないのなら表に出てくるなよと思っていた自分が、そのまま自分を苦しめていた。

私はどうして日記を売りたいのかと考えてみると、自分が生きてた証拠を他人の手元に残しておきたいからというのが1番強い。生活していて死んでいく自分のひと匙の要素がこの世に残っているとしたら幸せだろうと思う。それに、表現活動を生業としてなくても、私という人間はおもしろいと誰かに分からせたい復讐心のようなものがある。わがままなことだけど、そういう人間でありたいと思う。買ってほしいと言うことに照れや迷いがあって躊躇っていたけれど、自分のためなので恥ずかしがってる場合ではない。照れが生じたスタンスだと読んでいる方が困る、と率直に言ってもらえて目が覚めた。本当にそうだと思う。自分の本を勧めている人って自信家なのかと勘違いしていたけど、読んでくれる人の負担を取る行為でもあったのだと気づいた。

とはいえ、普通の人間の日記を買ってくれる人は稀だと思うし、自分が淡々と生活を綴るだけでは、私も金額をつけることに後ろめたさが残る。なので、今までもできる限りそうしてきたけど、より一層自分と向き合って、正直に書きたいと思う。向き合い方、曝け出し方が常軌を逸するほどであれば、あまり見たことのない様相の日記になり、それはおもしろいはずなので。自信を持てるほどに内容を良くする努力をすることを自分に課すので、買ってもらえると嬉しいです。

私の相談に付き合ってくれた落合さんには頭が上がらない。私は知らない人から相談されたとして、こんなに真剣に付き合ってあげられないと思う。こういう風になるためには、やっぱり自分の頭で考えて生きていくしかないのだろう。長期的に見て納得のいく生活をするには、自分で考えなければならないし、妥協してはならないし、矜持を持ち続けなければならないっぽい。これらは面倒だからなんか社会的に正しそうなことをやってれば幸せになれるんじゃないかと思ってたけど無理そうだと感じた。

三省堂書店で「センチメンタル無反応」を購入し、帰宅して読んだ。凸凹の表紙に金の特色仕様の、見て触って所有したくなる本。短編自体も素晴らしいがあとがきに胸を打たれた。真造圭伍ですら悩むのかよ。「ぼくらが旅に出る理由」のPVでオザケンが歯磨きしているのを見て、オザケンも同じ人間なんだと感動した時に似た気持ちになった。「いつでもフラッと飲める友達がほしいよ」で、「美人!しかも巨乳!」という台詞があってウッとなる。よくある台詞と設定。真造圭伍ですらこれを描くことに寂しさを覚えているだけ。例えば「イケメン!しかも巨根!」とか書いてあっても男性は傷つかないのだろうか。

20時から日記の修正作業を進める。細かい改行、文章が変なところや誤字の修正、照れて具体的に書くことを放棄した内容の補記をしていたら4時間ほどあっという間にすぎる。作業BGMとしてDr.ハインリッヒのGERA2回分を聴きながら進めていると、ちょっと、狼狽えてしまうほどおもしろかった。自己理論の完成形、突き詰める面白さが炸裂している。きちんと誘導されてartistspokenという聞いたこともないアプリに課金して「Dr.ハインリッヒパロールの時間」(課金してくれた人に強めの思想を教えるラジオ)を聴き続けていた。

寝る支度をするもうまく眠れず、引き続きパロールの時間を流しながら日記の下書きをした。2時頃就寝。