まだ、途中

途中です。働いてラジオ聴いて日記書いてます。@madatotyuu

4月15-22日

4月15日(月)

昨日裾上げに出したワイドパンツを引き取る。

 

4月16日(火)

仕事の調整が上手くいかず、Nさんに任せた仕事を巻き取る。残業して進めた。精神的に消耗する。人に任せるのも人を自分の指示通りに動かすのも苦手。疲れすぎて帰れなくなり、明日の歓送迎会のくじ引きを作って頭をリセットしてから退勤した。

 

4月17日(水)

SWでゲスト峯田回のあのちゃんANN0を聴く。ゲストが喋りやすいように気を回すあのちゃんのMC力。

夕方整体へ。良くなっている気はしないが、やらないよりはマシ。

 

4月18日(木)

SWで春ヒコゲスト回の佐久間さんANN0を聴く。ぐんぴぃの語り口はどこに行っても安定しており、すぐに自分のペースに巻き込む、落語のようで安心する。

夜は歓送迎会。幹事だったが私は会計関係を担うことにして、もう1人に司会進行を任せた。ちょうど良く適当でスムーズで、私がやるより100倍良かった。好きな先輩に『いい子のあくび』を貸した。お喋りしすぎて酸欠になるなど。

酒を飲んでないから二次会に参加したく無く、もう1人の幹事とともに帰った。私一人の意思では流されて帰ることはできなかっただろう。皆自分の意思を尊重して行動しているのに、私はまだ、人のせいにしていじけている。

 

4月19日(金)

SWでゲストえなこ、根建回のマヂラブANN0を聴く。「静かにしちゃおーよ」が破壊的に面白くて目が覚めた。とても好きな回。

一日中眠たかった。

疲れていたので22時前に眠りにつく。

 

4月20日(土)

RoOT、滅相も無いを見た。滅相も無い1話、とても面白く、好みのドラマだ。演劇的な舞台装置がドラマ上では新鮮に映る。穴に入る理由が怒れない、怒りをコントロールできないというのも、逆にリアルに感じる。劇的な何かではなく、積み重ねたどうにもならなさによって人は今の生活を投げ出したくなるのかな。

なぜかコナンの映画を見た。

他人とセックスしたい。現実逃避がしたい。

 

4月21日(日)

高校からの友人と3人でお茶をした。既婚子なし会社員で共通項が多いから(いやそうでなくても)話は弾む。同じようなことで悩んでいる。

子どもをどう捉えるかという話は去年散々考えたことだった。ああ、その思考の過程は分かるよと思いつつ、結論を誘導したくないから共感するに留めた。

Sは年々繊細さが和らいで生きやすくなったと言っていた。一方で、私は年々生き辛くなっている。合理的に割り切って物事を考えられなくなっている。自分の心を無視したら後々体調を崩すことも知っている。舐められたくはないが、話の分からない奴だとは思われたくない。人は誰もが真摯に生きてるわけじゃない。好き嫌いもある、気分もある。そういう非定型の部分を楽しむ余裕がない、仕事が非定型を許さない。非定型の人→私→定型の仕事 私というフィルターが人間らしいブレを修正して決められた仕事に落とし込んでいく。Sは無理に笑顔を作る必要はないと言っていた。でも人のために笑顔を向けて結果として上手く回せた仕事だって山ほどある。私は何のために頑張っているのか。自分を大切にするのはそんなに大事なこと?嫌いな自己に目を逸らして大切にする気にならない。

帰宅してからどっと疲れて、2時頃までダイヤモンドの功罪を読んだ。

 

4月22日(月)

アラームを耳にして、今日はもう行きたくないと感じたので電話を入れて午前休みにした。

「ありえない仕事術」を読み進める。

出勤したけど出勤しなくてもよかった。一度Nさんに苦手意識を持ってから腹の中がモヤモヤする。なんとなく気が合わない、喋りたくない。好かれる必要もないからわざわざ笑顔を作らなくて良いけど、慣れない環境で隣の席の私が仏頂面だと心細いだろう、笑顔をつくる。

日記を書く気が起きなかった。書き始めれば書くけど、今日あったことを記す気にならない。早くこの日々がすぎてほしい。元気になりたい。

Y2K新書や都築サクラバシ919を聴いて、私に足りなくて、わたしが切望しているのはこの馬力だと感じる。誰も聴いてなくても喋りたいという思いが炸裂する。

日記を書き始めた時はとにかくこの面白い日々を書かなければと思っていたけど、今は日々が苦痛でしかない。怒りにすら達していないから書く気にならない。辛さが怒りに変わればまた書きたいと思うだろうか。書きたくなくても書けてしまう勤勉さを憎む。