まだ、途中

途中です。働いてラジオ聴いて日記書いてます。@madatotyuu

6月3日(土)

10時過ぎに起きて夫を見送り、霜降りANNを聴きながら支度。あの一件について唯一"真っ直ぐ"に説明していて、妙な緊張感が面白さに拍車をかけ、霜降りは天才だと感動した。霜降りって力強過ぎて好き嫌いを超えてませんか?

新宿へ向かいバルト9で「怪物」を鑑賞。台風が初日だったことが奇跡みたいにぴったりの映画だった。不思議な符号にも運命性を感じるほど、素晴らしい映画だった。坂元裕二の脚本、大好きなんだけど急に変になってしまうことがあるから不安に思っていたのだけど、そんな不安は失礼なほど隙のない脚本だった。色々な角度からある事件、関係性、人間を描いていく。映画だからあの時実はああだったんだってことが知れて、腑に落ちて、すっきりするんだけど、現実では分からないままのことの方が多い。(観客の私たちはわかるけど、登場人物達は最後まではっきりは分からない。その登場人物の視点が現実の私たちの視点。)その分からなさの後ろにどんな事があるのか、想像力を働かせる一助になるような映画だったと思う。安藤サクラの演技は凄かった。安藤サクラの視点から語られる学校や子供は、ああでしかないし、ああいう風にしか対処できない。何か声をあげる時、慣れなくてオリジナルの怒り方が分からず、ドラマで見たことあるような型にハマった怒り方になってしまう事がある。それに対応する側が、型にハマって受け取ってしまうこともある。言葉が通じないと思う時、力が抜けていく。私は何を相手にしているのだろうと思う。目の前がぼやけて、だから戦争は終わらないんだと確信する事がある。そのような無力感をひしひしと感じた。子供たちのあり方も凄くて、映画を見ながら自分の小学生の時のいざこざを思い出した。3人グループで遊んでいたけど、いつも1人がもう1人を占有し、それが終わるともう1人の方を占有した。私は占有される側で、占有されない期間は薄く無視されていた。それは自分が面白くないからだと思っていたし、他の人に無視されてることを知られたくなかった。もう1人の子が無視に耐えかねて先生に報告したらしく、面談をしたことがある。その後、占有する子に「私のことが怖い?」と聞かて、怖くないと応えた、記憶。子供だからといって何も分かってないわけではなく、社会もあるし、どう見られたいかという視点もある。逃げ場がないから大人より厳しいと思う。そういう複雑さを一瞬にして思い出した。皆、対話しておけば大事にはならなかった、素直に話し合えば分かり合えたんじゃないか。でもその対話の場が用意されない、時間がない、やったことがない...こういうことは嘘みたいに多い。学校組織のあり方なんて、身に覚えがあって直視できなかった。私たち、人間じゃないみたいな時もある。悪気があるわけじゃなくて、守りたいものがあるのだと思う。守りたいものがある時、人はある側面から見て怪物になってしまうのでしょうね。私は常々、皆考えてることをそのまま示してくれればいいのにと思っている。強かな人が強かだってこと示してくれれば良いのにとか。無理な話だが。でもそれって想像力を働かせるのをサボりたかったからかもしれない。複雑な人間のことを、分かった気になりたくて、言葉で示してくれれば楽なのにと思っていた。でも私だってこんな毎日文字を書いてても、これを読んだって私のことは全然分からないだろうと思ってる。人の日記本を読むと、人ってめっちゃ考えるじゃんやば、って膨大さに思考停止しそうになる。けど、考え続けろってことなんですよね〜。言葉は言葉の通りでもないし、言ったこと書いたことが全てではない。私が凄く良いと思ったのは、人を色んな角度から描いて、皆理由があるだけで本当に悪い人はいないんじゃないかと思えたことで、経験を積み、観察眼を鍛え、想像力を働かせば、ものすごく悲しい失敗を避けられるんじゃないかと活路を見出せたことだった。あなたは全てが見えているわけじゃないのだから、考えろと言われた気がした。でも考えた上で、自分の主張を見失ってはいけない。田中裕子の音楽室のシーンが胸に響いた。なにか、こういう美しい瞬間を目にするために生きているのではないかと思った。唸るような音は3つのシーンで流れるけど、どれも違ったように聴こえる。

パンフレットを買って下北に戻り、ボーナストラックで本のイベントをやってたのでオルタナ旧市街さんの一般、往還を購入。B &Bで「みちかとまり」「砂の都」購入。どちらも出ていることを今日知った。町田洋の新刊なんて、目にした瞬間手に取っていた。嬉しい。

SIXHACK見たり「みちかとまり」「砂の都」を読んだりして過ごした。

これは歩いていた時に見つけた、屋根の部分が台風で飛んで行ってしまったのか?それとも前からこうなのか?と思った入口。