まだ、途中

途中です。働いてラジオ聴いて日記書いてます。@madatotyuu

1月1-5日

1月1日(月)

昼頃起床して実家に帰る。おせちをいただく。実家のご飯は本当に美味しい。姉家族も集まり、姪っ子を構う時間。上の子は今年小学生になるけど、こんなに我儘で大丈夫か?自分が覚えていないだけで、こんな風だったんだろうか。でも意地悪な気持ちではなく、小学校に挫けないで欲しいと願う。地震に怯える。引き続くニュースに気持ちが暗くなる。日本怪奇ルポルタージュを見たが、正月に見るものではなかった。

1月2日(火)

なんとなく体調が悪い気がして、姪っ子達もいるし念の為マスクを着用。近くのお寺に初詣と厄祓い。おみくじは小吉だった。そのまま自分の家に帰って熱を測ると37.5度で、まだそこまで辛くなかったけどベットにこもっていた。職場の先輩に薦められた「首里の馬」を読み終わる。関係ない点が魔力によって意外に結びつく不思議な小説だった。ここから先の記憶があまりない。

1月3日(水)

苦痛で目覚めて熱を測ると38.5度。終わった。明日の仕事は無理だと察したので職場のグループLINEに4日の仕事を変わってもらう旨お願いした。1日何もできず、眠れたら寝て、ウィダーインゼリーを少し飲み、鼻をかみまくっていた。38〜39.5度を行ったり来たりしていたが、風邪薬の効果で熱が下がったタイミングでシャワーを浴びたりした。高熱で頭がおかしくなり始めていて、令和ロマンのくるまに薬を飲むタイミングを分析され指示を出されており、それに従っていたら比較的マシに過ごせていた。

1月4日(木)

たぶんこの日が1番辛かった。朝イチで予約していた病院に行き(これもくるまの指示でぴったりのタイミングで熱が下がっていた)、pcrとインフルエンザ両方の検査を行ったらインフルA型だった。タミフルをもらい帰宅しようとすると、急に不正出血が始まり、薬をもらうのに時間がかかったため熱も上がってきて家までの道のりが永遠に感じる。もうこのまま辿り着けなくて倒れてしまうかもしれないと本当に思った。なんとか辿り着きベットに倒れ込み、タミフルを飲んで横になる。しんどすぎて眠れないターンに入ってしまい、鼻が詰まって痰も絡み息がしにくく、汗だくになる程暑くなったり体の芯から冷えたりを繰り返しめちゃくちゃだった。高熱でおかしくなり、自分の身体が何人かのおばさんに分かれていると錯覚し、この苦しみは私の身体が感じていることで、別の人は感じていないんだ!という今考えれば当然としか言いようがないんだけどそういうこと(正確にはなんかの媒体を再生しようと思ったのに私(の中のおばさんの1人)が上手く再生できなくて、媒体が悪いんじゃなくて私の身体が悪いんだ!と気づいた)を思った。おばさんたちはワイワイキャッキャしながらYOASOBIのアイドルを歌って私を励ましてくれて、最後のフレーズは誰が歌う?とかで楽しそうにしていて和んだ。あと、なんらかのドキュメンタリーを撮影してると思い込んでこの苦悩の表情もどこかのカットに使われるんだから...とか考えていた。深夜3時頃にどうしても寝れない上に痰が絡みすぎて息もできなくなり、でももう咳払いをする体力もなくて死にそうになっていた時に、シャワーを浴びようと思いついた。これが功を奏して少しだけ元気を取り戻し、私は限られた体力の中でもいまできる最高を実行できて頑張ってるし最高だよ、と多幸感に包まれながら眠った。

1月5日(金)

37〜38度くらいに熱が下がり始めるも、鼻水が止まらないため鼻がボロボロになってきた。久しぶりにご飯を食べる気になったのでうどんを食べてみたら味覚がなく、本当にがっかりした。全てにぼんやりと同じ味がするなあと思っていたけど、冷たいゼリー類しか食べていなかったから気づけていなかった。常識の範囲内の熱におさまってきたので、電子で買っていた氷の城壁を読む。夜にかけて鼻詰まりがひどくなり、副鼻腔炎かと思うほどで顔も頭も痛くて眠れず。痛み止めを飲んで少しだけ寝たら嘘みたいに全ての症状が治っており、睡眠すごい。体調が悪すぎると感情がなくなってしまうようで、だんだんと感情を思い出してきた。