まだ、途中

途中です。働いてラジオ聴いて日記書いてます。@madatotyuu

10月17日(月)

7時過ぎ起床。昨夜眠れなくてドリエルを飲んだので膜が張ったように感覚が鈍い。日曜の夜が不眠気味になっている。霜降りANNを聴きながら出勤。

仕事、各所に送らなければならないものを送り終えた。課の誰もよく分からない仕事で、仕事を知ってる別の課の人とは決裂したので1人で粛々と終えた。結果として頼る必要がなかったから、教えを請おうとして返り討ちにあった1ヶ月前を悔やんだ。なんだったんだあれは。思い返しても自分が可哀想になる。

夫が午後から出勤だったので、昼頃応援の連絡を入れた。おすすめしたベルンを手土産に買ったようだった。午後も静々と仕事をして定時で退社。

仕事中に、昨日友人と話していたことを思い返していた。「母親は、娘に自分と同じような人生を辿ってもらうことで、自分の人生の正しさを証明したいんじゃないか」っていうの、言葉にすると腑に落ちないけど感覚としてはとてもよく分かった。生活が上手くないから、生活の上手い友人2人にどうしたらいいの?と聞いてみたけど、向いてないから無理なんじゃない?と言われてちょっと悔しかった。ほとんどのことは努力でカバーできると信じている節があるので、私の生活の下手くそさは努力不足だと思う。一方で、生活を「向いてない」と言い切ってくれる清々しさもあった。しかし生活が向いてないってやばくないか。

Dr.ハインリッヒの言っていることは、ひとまず自分をケア(自分に不要なものを捨てるということが大切っぽい)して、そして隣人に優しくするということなのだけど、自分をケアすることがどこか贅沢でしてはならないことのように感じている。自分の下品さ、未熟さには心底呆れており、そのような自分を感じながら同時に大切にすることが難しい。朝井リョウがかつて露天風呂つきの部屋を予約するカップルは、裸で宿まで向かわないとおかしいみたいなことを言っていたけど、私はそれはすごく分かる。絶対にセックスするのに、なぜ平然と「しないですよ」という顔をして街を歩けるのか。私にとって自分をケアすること(ていねいな暮らしにも通ずる)は自分の愚かさを感じながら自分をゴージャスに扱うチグハグな行為のように感じる。

でも、自分を大切にしたいし、ていねいな暮らしには憧れているので、改善はしていきたい。私のセックス観が人とずれている可能性が高いから、性自体の考え方もスピリチュアルで解決しないかな?と縋る気持ちで「セックス スピリチュアル」で検索をかけたらスピリチュアルセックスという意味のわからない業界に足を踏み入れそうになったのでやめた。終わりの検索履歴。しかもセックスとスピリチュアルには何にも関係がありませんとも書いてもあって散々だった。自助努力ですね。

まつげパーマをして垂直に上がったまつげに気分が上がる。うなげろりんを聴いて帰宅。夫は普通そうで良かった。明日も少し休んでから出勤とのこと。行けただけで偉いよ。

夫のリクエストでお好み焼きを食べながら、TVerで「8人はテレビを見ない」を視聴。書かされている...!とさすがに感じた。

ラブサマちゃんとゆっきゅんのツーマンライブのチケットを、抽選かと思って軽い気持ちで申し込んだら先着だったので購入できてしまった。気圧は私も上げたい。申込ついでにカードの支払いや電子通帳を見て落ち込んだ。

クレイジージャーニーを見て、NHKナンシー関のドラマ(?)を見た。いとうせいこうって編集者もやってたんだ、全部じゃんと思ったり、ナンシー関の本を読もうかなと思ったりした。シャワーを浴びつつ風呂掃除をして1時頃就寝。