まだ、途中

途中です。働いてラジオ聴いて日記書いてます。@madatotyuu

2月26日(月)

うなげろりんを聴きながら出勤。垢抜けの話。中谷がおしゃれだと思う人はうずまきナルトらしい。途中まで中谷の言ってることも分かるなと聞いていたのに、それ以降何も信じられなくなった。

仕事。隙間がないほど一生懸命働いてるのに絶対に定時には終わらない。研修行ってる場合じゃないから行きたくない。一事務職員がワイプありの生中継やるためにやり方を模索してるのどうかしてる。

少しだけ残業して、バーガーキングを10分で食べて、ベースメントへ。k-pro×basementbarのイベントを見に行く。最初にダウが登場。ライブハウスの距離は近い。初見のコントでしっかり面白かったし、ちゃんとウケてて嬉しかった。

次のバンドを聴きながら考えていた。今日の客層は20-25くらいで自分より若そうだった。若そうと判断する根拠はファッションによるところが大きい。自分も見た目は若いつもりでいても、本物の若者とは決定的に何か違う。昔は客層が上だと自分のセンスに自惚れていたけど、今は自分より下だと自分のセンスがいい、まだ大丈夫な気がする。でもこれで若者と同じ気持ちになってると痛い目を見るので、色々見ている30代だという自己認識を強く持ち続けよう。今日は仕事をギリギリまで頑張って、夜ご飯をショートカットしてライブハウスに来ていて、ていねいな暮らしとはかけ離れている。でも私はこの生活を悪いとは思えない。ていねいな暮らしに感じる本当か?という気持ちは、そもそも生活(脳)の大半を労働に割かれているのに、そこを無視して生活を頑張りましょうやというのは無理があると思っているからだ。たとえば22時まで働いて帰宅が23時で、寝る支度だけで0時を超えそうな時にわざわざ時間をかけて自炊する方が間違ってる。まず寝たいし、何も生み出す元気が残っていない。明日また目覚めるための根拠(趣味とか)を得る時間の方を優先したい。けれどもこの生活が良いと思っているわけでもなく、どこかクリアできない気持ちのまま暮らしている。激務人間のていねいな暮らしって存在するのだろうか。では労働から見直せということなのであれば、それは私ではなく組織に言ってほしい。生活に裂ける時間を個人の責任にされることに憤っている。人それぞれに適合する生活があり、残業して10分で夕食食べてライブハウスに行くのも明日の自分を活かすgoodな暮らしってことにしてほしい。久しぶりのライブハウスだから耳が痛い。スピーカーからビリビリ音がする。

転換前に再度ダウ登場で曲に合わせてマックを盗み食う変なコントやってた。私の好きな蓮見さんの部分だ。説明が少ないところ、人が食ってるところが面白いと思ってるところ。

ここまではkhaki登場前に書いていて、その後khakiのライブを見たら最高すぎてすべてどうでも良くなってしまった。めちゃくちゃかっこよかった。もうバンドにときめく季節は終わったと思っていたから、まだこんなにもかっこいいと心が動くことが嬉しい。伝説を目撃していると感じた。演奏と歌がうますぎて生で見てるのに映像を見てるみたいだった。ミーハーで申し訳ないが中塩さんのビジュアルが完成しきっている。

帰宅、興奮をそのまま夫に伝える。ヘルペスが治らない。