3月14日(木)
朝から異動者の配置を決める会議が行われていた。途中呼び出されて話を聞くと、通常の異動者は1人も係に配置されず、代わりに他社からの出向者が来るとのこと。つまり人員を3人減らされた挙句お客様的ポジションが1人増えるとのことだった。あまりの事態に最初は笑っていたが、上司がやばさを分かってなさそうで心が折れて泣いた。
3人減らしても良いと思われるほど人事に仕事を軽んじられていること、人員不足による仕事の困難を想像できるのが私だけであることが辛い。上司から「電話に出なくてもいいから」と言われ、そういうレベルの話ではないことや、そんなの実際にはできないこと、私の負担を減らす案がそれしか出てこないことに絶望した。悪気がないのが分かるのも余計辛い。
話してるうちに昼休みになってしまったので一旦切り上げてご飯を食べた。思い出すと悔しくて泣けてきてしまって、ベローチェで泣きながらカレーを食べる人になった。でも食べているうちに不思議と仕方がない気持ちになっていった。人が減らされてるのだからその程度の仕事しかしなくていいのか、と開き直った。全てをこなす必要はない。
戻ってからは平静を取り戻し、4月からどうすれば良いかWordにまとめてから退勤。夫と待ち合わせてロイホへ。道すがら今日あったことを話していると、また段々と思い出してイライラして、不正出血になった。ストレスがダイレクトに体にくるタイプで分かりやすい。夫にこれからどうすればいいか相談すると、ひとまず明日休んでみたらと勧められた。奢ってもらって帰宅。
3月15日(金)
1日休む勇気はなかったので2時間だけ休みを取って出勤。上司には申し訳ないけど、その間昨日の私への対応を怒られていたようだった。夫の作戦は正しかった。私が休んだらどうなってしまうのかという危機感を持ってもらう必要がある。いくら頑張っても伝わらない人には伝わらないし、察してくれない人は察することはないし、実力行使するしかない。
また時間をとって上司と話したが、今回は落ち着いて建設的な意見を交わすことができた。具体的にどうするかまとめてきたのも良かったし、上司だからと遠慮せずやってもらいたいことは伝えることにした。手を動かせる人が少ないから判断は任せたいと伝え、判断と実務を切り分けられたのは良かった。分かり合えないと絶望し心を閉ざすのではなく、根本的には分かり合えない前提で仕事レベルでの認識を共有できるよう努めたことに、自分の成長を感じた。サービスレベルを落とすことにも強い抵抗を感じていたが、現状がこうなので諦めることにした。私がどう思うかよりも、私の後任が辛くないように整える1年にしたい。今すっきりしてるけど、これから最悪なことはたくさんあると思う。それはもう当たり前なので、こういう現状なら仕方ないねと受け流す余裕を持ちたい。
いろんな人から病気にならないことを第一にと言われた。この状況で普通に働いたら病気になってしまうので、やりすぎなくらい過剰に自分をケアしようと思う。ところで今年は厄年なんだけど、厄年って本当にそうなのかもね。
3月16日(土)
昼過ぎから前髪カット、その後渋谷で14歳の栞を見た。渋谷のハンズあたりにくると、高校の時の彼氏が忘れられなくて、大学2年生の時に会ってもらった日のことを思い出す。高校の時の記憶と、私に興味がない彼を見て深く傷ついたこと、丸っと全て私に影響している。
14歳の栞は2回目でも素晴らしかった。壮大な動物のドキュメンタリー映像を経て動物たちの眼差しから生徒の顔のアップになるところ、ハッとする。内容がわかってる分、最初から泣けてしまった。上手くいかなくても人間と関わろうとしている人の愛らしさを思った。私も上手くいかなくても人間と関わろうとしたい。
3月17日(日)
特に何もしない休息日。
明日の仕事がだんだんと嫌になってきたので、金曜感じた気持ちを思い出して、ほどほどで良いと言い聞かせている。頑張らなくても生きてて良いようにするには、自分の居場所を作る必要がある。そのためには人と関わったほうがいいんだろうなあとうすぼんやり考えている。