まだ、途中

途中です。働いてラジオ聴いて日記書いてます。@madatotyuu

7月30日(土)

11時過ぎに起床。フジロックの配信を見たり見なかったり。崎山蒼志のMCがよかった。オレンジレンジはヒット曲をちゃんとやっていて最高だった。特別な感情がなくても、世代的に脳に刷り込まれている。

かき氷を手作りしたり、ウーバーイーツしたハンバーガーを食べながら折坂悠太を見る。去年、コロナの感染拡大を受けて直前でキャンセルしたけど今年はステージに上がった。どういう風に説明するのかと見守っているとMCで、上手く説明できない、試行錯誤していると言っていた。そうだよね、と思う。誰もどうするのがベストかなんて分からない。後から振り返ってあの時ああしとけばって思うだけ。バンドセットのメンバーの自然派な雰囲気が合わなくて、序盤あまり響かなかったが、朝顔を聴いてぐっときた。お金に余裕がある人の芸術みたいなものがあんまり好きじゃなくて、家がお金持ちだから自由にできたんだろうと感じると良いとか悪いとかの前に嫉妬してしまう。それでも、そういうのをブチ抜いて感動するときがある。

支度して17時過ぎに家を出る。Mとロロの「ここは居心地がいいけど、もう行く」を見に吉祥寺へ。正直1人で行きたかったけど、チケットを取ってもらったので待ち合わせた。たぶんMも私と見たくなかったと思う。その証拠に、まともに連絡が返ってこなかった。そういうのもあって憂鬱だった。遅れると連絡があったので吉祥寺シアターの近くのミニストップで待っていた。汗を拭いたり髪を直したりする。この期に及んでもまだかわいいとは思われたいのかよ。合流してすぐに会場に入る。割と前の方の席に並んで座れた。

今回の公演は、いつ高シリーズのその後を描く作品。高校生だった(逆)おとめと白子は41歳になっている。旧旧校舎と旧校舎の踊り場が並んだセットで繰り広げられる現役高校生のパートと、親と先生になったかつての高校生のパート。それらが交差しながら物語は進む。笑いどころが随所にあり、単純におもしろかったし、かつて夜の学校から放送したラジオが、思わぬ相手に届く、(そしてそれをずっとずっと覚えていて、今に作用する)というロマンチックな仕掛けにはうるっとした。しかし、私がとても感動したのは、思い出を捨てて前に進まなきゃいけないという、タイトルからも受け取れるメッセージだった。書いてしまえば陳腐かもしれないが、それがとても心に響くような作品だった。

これは、もう笑えない年齢になっちゃったなと感じている全ての大人に響く作品だと思う。タイムリーに年齢について考えていたので、まさに私のためのようだった。いつ高の先生になった白子に自分を重ね合わせて見た。私は高校時代が人生の全てで、それ以外は余生だと思って生きている。それほどまでに自分の高校生活は眩しくて、主人公で、美しかった。可能性に満ち溢れていて、できないことにも挑戦して、努力を重ねて、それでも足りないと思っていた。だから、その時の美しかった人生を本当の自分だと思って過ごしてきた。今の私が惨めでも、その時の自分が本当の自分だからと目を瞑ってきた。それでも5年前くらいまでは鮮明に高校時代の自分のことを思い出せていたし、その時の出来事を今起こったことのように傷ついたりできていた。でも最近は上手く思い出せなくて、その時の感情が分からなくなってきている。10年以上経っているのだから当たり前なのに、私はずっと高校生時代の自分にしがみついていたから、そのことに焦りを感じていた。本当の自分を思い出せないなら、今の自分を本当にしなければならないかもしれない。そうして今の人生を直視すると、全然、納得がいかないのだった。

白子も、高校の時の自分を大事にして、捨てられなくてここまできたのだと思う。思い出を大事にして何度も温めなおすのは、とても居心地がいいことだから。それでも、(逆)おとめに子供がいて、好きな仕事をしていて、義理の母とも上手く関係を築いているのを見て、白子は自分も現実を受け入れ、進まなければならないと感じる。私も、進まなければならないと感じた。涙が出る。現実を受け入れる覚悟を持つのはとても怖い。

だからといって自分が大きく何かを変えるということは今は考えられないけど、余生と思って生きるのはやめる。今現在の人生を、本当の自分だと思うことにする。昔取った杵柄で私は横柄に生きてきてしまった。かつてはかわいかった、かつてはセンスがよかった、かつては頭が良かった、かつては好きな人に好きになってもらえていた、かつては一目置かれていた、かつては可能性が沢山あった。でも今はどれも実力で勝ち取りに行くしかない。それは全て過去の自分で今とは関係がないから。

大学生みたいな見た目とテンションで生きてきたけど、本当に大学生みたいに過ごすならインスタのストーリーを更新しなきゃいけないし、DMでやりとりしなきゃいけないし、TikTokを見なきゃいけないと思う。でも私はそんなことする元気やはしゃぎがもうない。自分だけが大学生みたいだと思っていても実際のカルチャーから遠く離れているならば、そう思う資格もない。だから、自分の年齢を受け入れて、今の自分にしっくりくる身なりや振る舞いを、一つ一つ獲得していかなければいけない。見た目が変わらないのは、輝いていた高校時代から離れたくなかった気持ちがあったからだと思う。あの時褒められた容姿から離れてしまうと、自分はダメになってしまうような気がしていた。

今の自分を上手くやりこなして、それでもし、今の自分が1番良いかもと思えたら、私はここまで生きてきて本当によかったと初めて思えるかもしれない。生きるのが面倒だから早めに死にたいと思ってきたけど、今からピークを迎えるのだとしたら生きるのが少し楽しみかもしれない。

白子も一つ大きく決断して、保留してあったものを一つ一つ捨てていく。カセットテープが燃やせると思えなかったのは、過去の自分を断ち切って、なかったことにできるという発想がなかったのだろう。"捨てられないものは、失くしたもの"だと考えるのだ。そうやって縋り付かずに前に進むしかない。なにもしなくても時は進んでいくのだから。

観劇を終えてトイレで涙を押さえ、ステッカーと台本付きのクリアファイルを買った。そのまま駅に向かい、借りていた本をMに返した。一緒に電車に乗って、他愛もない話をして私が先に電車を降りた。またね、と言われたけどバイバイと返した。

コメダ珈琲に入って台本を読んでまた泣いて、家に帰ってフジロックの配信でコーネリアスを見る。YouTubeにあがっている、今回の作品と関係の深いいつ高シリーズの「グッドモーニング」を見て、日記を書いた。3時前に就寝するつもり。