まだ、途中

途中です。働いてラジオ聴いて日記書いてます。@madatotyuu

4月25日(火)

あのちゃんのANN0を聴こうと思ったら今日じゃなかった。代わりにadoのANNを聴く。以前ぐんぴぃが人類は常に進化しているのだから年少者の方が偉いと言ってたけど、adoを聞いてると確かになと思う。

日曜のロケが雨かもしれなくて心配。昼休みに乳化一番さん達のネットプリント「sore春」を印刷して読んだ。職場のデスクでネットプリント読むの、背徳感があって良い。詳細を把握せずに読んだので、やたら睡眠に関する話題が多いなと思ったら「眠」がテーマだった。当たり前だった。いろんな人の短い文章が一枚で読めちゃうのかなり良い。

くどうれいんさんの日記に関する連載を読んでて、「日記を書いているからおもしろいことがある」という話に確かにそうだと思った。感じ取る網目が細かくなるということだと思う。でも、「日記を毎日決まって書ける人は、日記を書く必要があるのか?」と続いて書いてあって落ち込んだ。私はこの1年毎日決まって日記を書けちゃってる。連載の趣旨から、日記は毎日書かなくてもOK、自分のペースで書いてねってことだとは理解している。だからこの落ち込みはこれが直接の要因ではないんだけど、この一文が引き金となって思い出した感情がある。

私は固い仕事をしてるし、もう9年目だし、嫌だ嫌だと言いながらも続けられるだけの耐性があった。決めたことを毎日こなしたり、早起きしたり、週5でフル出勤したり、残業にも耐えられるだけの社会への適応能力があった。でもそれって、適応するために努力してるし、気を抜くとすぐに出来なくなりそうで、日々怯えながら過ごしている。その努力をなかったことにしないでほしい。最初から当たり前にできたわけじゃないから、できる人とできない人で分断しないでほしい。私は「これしかできなくて」と言える人に憧れている。私は大抵のことができる代わりに何も秀でたものがない。代わりのきく人にしかなれない。色々と上手いことできない辛さも、努力しないと生きてて大丈夫と思えない辛さも、似たようなものじゃないかと思う。私はなんとなく自分が普通に働けてしまってることに後ろめたさを感じている。なんだ働けるじゃん、結婚してるじゃん、日記書かなくても大丈夫な人じゃんって思う。いや、でも、違くて、普通に働いている人が日々どんなことを思っているかが私は知りたいのだ。普通に働いているからって、何にも考えていないわけじゃない、当たり前だろう。規則正しく生活してる人が内側に何も抱えていないわけじゃない。肩書きが突飛じゃなくても、人生の面白い季節にいなくても、毎日色々考えてる。私はそういうことを書きたいんだったと今思った。自分の側から見た普通さを利用したい。私はめちゃくちゃ普通に生きてるけど毎日日記を書いて公開できるほどの異常性も備えている。でも、みんな本当はそうなんだと思う。

夫から、私の誕生日前日にライブが入ったので祝えないと言われた。まあ仕方ないは仕方ないけど、伝え方とか態度に大切にされている感じがしなかったので怒ってみた。怒ったところで謝ったり代替案を出すような夫でもないので、すぐに黙って何をしてもらったら自分が納得できるか考えていた。ハウスクリーニング代を出してもらうとか?代替案を自分で考えるのは虚しいけど、そうしないと自分が大切にされなくても大丈夫ですと言ってるようで嫌だった。

怒りながら日記を書いてたら1時前になってしまった。